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inthecube
音楽と物語に関する文章を書いています。
ワイルドじゃなくてもいいからタフになりたい
OUR WORLD IS EXPRESSED BY IMPRESSIVE WORDS
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蕎麦より御節より七草よりも、物語を。
ネット・携帯電話・テレビから離れると、読書に集中することができます。好きな音楽を流しながら、未だ見ぬ物語の世界と向き合うのはとても楽しいものです。村上春樹以外の本を、学生の時分にもっと読んでおけばよかったかなと思うことは多々あります。けれども、最近、次々と新しいものを読むのは、自然に読みたいという気持ちがあるからこそ、です。「好きだから読む、読むから好きになる」という正のスパイラルが理想的ですが、十人十色、誰もがそうなるわけではありません。数多ある書物の山を宝と捉えるか、紙屑と捉えるか。



京極夏彦 『邪魅の雫』京極夏彦 『邪魅の雫』

なんとか2006年のうちに読み切りました。5月あたりに『姑獲鳥の夏』を読んでから、半年余りで京極堂シリーズを全て読みました。高校生あるいは大学生の頃に出会っていれば、研究に対する姿勢が変わっていたかもしれません。何が何でも研究で身を立てようとして、今頃横浜で働いてはいなかった気がします――とは言え、働いているからこそ、素直に面白いと思えているのかもしれませんが。
 冒頭で「なんとか」と書いたように、なかなか読み進むのが難しかった作品です。『姑穫鳥の夏』は一作目であることと難解さが壁となりましたが、本作は単純に入り込めなかったというのが主な理由です。『塗仏の宴』以降は、とてもミクロな視点というか、個々人の内面を描いているような印象を受けます。『陰摩羅鬼の瑕』では伯爵の思考構造がキーになっていましたし、本作では数人のキー・パーソンの思考の移ろいが描かれています。思考があちらに行ったり、こちらに行ったり、ふらふらと漂う様はとてもリアルです。が、文中で「これが大鷹の思考なのだ」などと、説明を加えているあたりが興醒めでしたね。
 目の前の林檎を手に取るという行動をした時、そこに至る思考の流れはひとつではない。「美味しそう」と思うこともあれば、「綺麗な色だ」と思うこともあります。「硬さを知りたい」でもいい。故に、どのような考えをしていても、「おかしい」「普通じゃない」ということはないはずです。そう考える確率の高低はあるでしょうが、低いものを「異常」に仕立て上げるのが近代社会に張り巡らされた思考システムです――閑話休題。「個別的なもの」は「個別的なもの」、それでいいではないですか。

田中芳樹 『暗黒神殿 アルスラーン戦記12』田中芳樹 『暗黒神殿 アルスラーン戦記12』

このシリーズは1986年から始まって20年続いているのですが、まだ終わらないの?という感じですね。続いているというか引き摺っているというか…。イラストレーターが天野喜孝でなくなってしまったことがとても残念ですが、作者に完結させようという意思が(かろうじて)あることが何よりです。作者が倒れるのが先か、蛇王が斃れるのが先か、さあどちらでしょう。
 第1部は戦闘シーンが多く、展開も派手で、まさしく「戦記」でした。第2部は比較的静かな感じでして、内政や民衆の生活が描かれています。(たぶん)膨大な資料をひっくり返して知識を蒐集してから構想を固め、文章に起こしていく故に、パルスで生きる人々の生活がとてもリアルに伝わってきます。架空の国ですが、人々が血肉ある存在になり、まるでその様子を目の当たりにしているかのようです。歴史上の国も僕からしたら架空ですし、無機質な教科書を読んで勉強するより、はるかに歴史への興味が沸きます。
 ただ、パワーダウンの印象は否めません。あっと驚く展開がないためか、それとも蛇王が復活してアルスラーンが勝つだろうという予測があるためか。蛇王も十六翼将も引っ張りすぎていますしね。まあ、年1回のイベントにしては盛り上がりに欠けた、ということです。しかし、ここまで来たら最後まで読みます。乗りかかった泥船です。途半ばで倒れたら祟りますよ。だから、はよ書け。

スコット・フィッツジェラルド著 村上春樹訳 『グレート・ギャツビー』スコット・フィッツジェラルド著 村上春樹訳 『グレート・ギャツビー』

ジェイ・ギャツビーは『ノルウェイの森』の「永沢さん」や『ダンス・ダンス・ダンス』の「五反田君」のモデルではないかと言われています。心の奥底にある闇が連想させるのでしょう。「昼の光に夜の闇の深さがわかるものか」という言葉が『風の歌を聴け』で引用されていましたが、まさしく心の闇を表現していますね。闇に目を向けようとしないのは、『ノルウェイの森』や『ダンス・ダンス・ダンス』に出てくる無自覚な人々も、現実世界の人間も同じです。見えないものは、無いもの。
 野崎孝の訳と比較するのは無益なことですが、あえて比較すれば、新訳の方が好きです。村上春樹バイアスを差っ引いたとしても。新訳で好きなのは、オーラス部分と一章の終わりですね。最後の部分とは、「ギャツビーは緑の灯火を信じていた。」から最後の一文に向かっていく一連の文章です。とにかく、綺麗です。音楽で言うなら、綺麗なフレーズが最後に鳴ってカット・アウトした感じですね。身体の中にしばらく余韻が残る。
 一章の終わりですが、手の届かないものに手を伸ばす様は(真っ先に『ノルウェイの森』を連想しました)、これぞ村上春樹の文章といった感じです。また野崎訳と比べてしまいましたが…
 野崎訳「彼は、暗い海にむかって奇妙にも両手をさしのべた。」
 村上訳「彼ははっとさせられるようなしぐさで、両手を暗い海に向けて差し出した。」
それこそ僕がはっとさせられましたよ、この一文に。

2006.01.06
by mura-bito | 2007-01-06 20:43 | Book
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