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[PART3] 村上春樹『騎士団長殺し』:秋川まりえの三角形と彼女が受け取ったもの
PART2: 重なる三角形と最後に受け取った存在】途中から登場して存在感を放つ「秋川まりえ」は、脇役のひとりとするにはあまりにも惜しい、とても重要な位置に立っています。フォーカスの対象を主人公から変え、彼女に当ててみると、角度が変わって対象物の印象が変わるように物語の表情が変わります。

前回と同様に点を結び、三角形を描いてみましょう。「免色渉」が主人公に語った「秋川まりえ、秋川まりえの母親、免色渉」というファクターは物語に根を張り、謎めいた三角形として息をし続けます。免色という謎のキャラクターを生々しく語る核であり、秋川まりえの存在の重要性を際立たせるスポットライトのようでもあります。

主人公、秋川まりえ、秋川笙子」から「秋川まりえ、秋川笙子、免色渉」へのシフトや、重要な絵を共有した「主人公、秋川まりえ、騎士団長殺し」も意味のある三角形です。そして、免色渉の家に忍び込んだ彼女はクローゼットに隠れ、張り詰めた緊張感の中で「秋川まりえ、サイズ5の花柄のワンピースの持ち主、免色渉(あるいは免色渉ではない何か)」という三角形が描かれます。特に免色の家で起こった出来事は、彼女を主役に据えた短篇小説のようであり、彼女の行動や思考が活き活きと描かれています。
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秋川まりえは「主人公がたどった道を別の角度から表現している」のでしょう。主人公が穴の中の世界を旅している間、彼女は免色渉の家に忍び込み、そして騎士団長に導かれて時を過ごします。同じタイミングでそれぞれにエキセントリックな体験を経て、それぞれのゲートをくぐって、誰も傷つけることなく帰還してくる。

では、帰還した先で彼女が受け取ったものとは何なのでしょうか。それは「彼女の肖像画の中に秘められていたもの」ではないかと僕は思います。彼女の母親から彼女に受け継がれたものなのか、彼女自身に与えられたものなのか、それは想像の余地が大きいところですが。主人公は肖像画を描くことで、言葉では語ることの難しいそれの存在に気付きます。そしてそれを表に出すべきではないと考え、肖像画の中に留めました。肖像画を未完成のまま彼女に進呈することで、それの存在を彼女自身に託します。

主人公が免色に彼女の肖像画を渡さなかったのは、それこそが彼の求めていたものだからかもしれません。だから主人公は解き放ちかけたそれを絵の中に戻し、彼女以外の人間が触れることのないよう手を尽くした。そして、肖像画を受け取った彼女は、いずれ、肖像画の中のそれと向き合う時が訪れるのかもしれません。『騎士団長殺し』に続編があるとすれば……秋川まりえがそれと対峙し、新たな謎に包まれる物語を読んでみたいと思います。【PART1: 異世界からの帰還とその資格を得るための旅

2017.03.22
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by mura-bito | 2017-03-22 21:20 | Book | Comments(0)
[PART2] 村上春樹『騎士団長殺し』:重なる三角形と最後に受け取った存在
PART1: 異世界からの帰還とその資格を得るための旅】『騎士団長殺し』の登場人物や重要な小道具を、場面ごとに点で結んでいくと、あちらこちらで三角形が浮かび上がります。それらは直接会話を交わすだけではなく、場にはいなくとも重要な存在として描かれる場合もあります。いくつもの三角形が浮かび上がり、重なり、離れながら物語は進みます。ひとつの方向に進んでいるかと思えば、別の三角形に焦点を当てると、別の道筋が見えてきます。三角形という見方をすることで、物語が立体的に、多面体として立ち上がってくるのです。

物語の主軸となり得る三角形は最も重要な三人を結んだ「主人公、免色渉、秋川まりえ」でしょうか。一番大きい三角形として、物語の輪郭を浮かび上がらせます。東北地方と北海道を回る旅で描かれた「主人公、女、白いスバル・フォレスターの男」は、その後も主人公の影のように付いて回ります。また、「主人公、雨田具彦、雨田政彦」の三角形からは、雨田家に降りかかった出来事を通して、歴史に刻まれた暗い暴力の存在が不気味に鎌首をもたげます。「秋川まりえ」のスケッチを描いた後には、彼女と妹の「小径」が結びついて「主人公、秋川まりえ、小径」が三角形を作り上げ、主人公と秋川まりえとの結びつきが強固なものとなります。

主人公は穴の中に身を投じ、非現実の世界を歩きます。穴を開けるための儀式として「主人公、雨田具彦、騎士団長」から「主人公、雨田具彦、顔なが」に至るプロセスも欠かせません。穴の中では、旅人と案内人という関係で「主人公、顔のない男、ドンナ・アンナ」が存在し、そこをくぐり抜けるときには「主人公、小径、ドンナ・アンナ」がキーとなります(その伏線として、風穴における「主人公、小径、叔父」があったのか)。そして、これらを経て帰還した先に、新たな三角形が生まれます。
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いくつもの三角形が織り成す物語は、ひとつの三角形に収斂していきます。そのプロセスを追っていると「受け取る」という行為が見えてきます。悪や巨大な存在から何かを勝ち取るのではなく、あとに残ったものを受け取る。失うこともなく、通り過ぎることもなく、かたちあるものが手のひらに残る。与えられた「ギフト」を受け取り、大事に守る。

最後に登場する三角形が「主人公、柚、室」です。これまでにも家族や家庭を描いた物語はありましたが、これほどまでに重みを感じている描写は初めてではないかと思います。例えば『国境の南、太陽の西』では捨ててもいいとさえ思われていた家族(妻と娘)という要素が、この物語ではむしろ守るべきものとして描かれています。その手をしっかりと握っていようと思える存在。

僕は「主人公は受け取ったギフトの重みをしっかり感じている」と思いますし、それは村上春樹らしくないとも思い、同時に興味深いとも思います。暗示的に匂わすものはなく、シンプルに、形、重み、そして温かみがあるものとして、その存在の尊さを感じている。物語の終わりとして明確に句点を付けた、そう思える結末です。【PART3: 秋川まりえの三角形と彼女が受け取ったもの

2017.03.21
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by mura-bito | 2017-03-21 21:35 | Book | Comments(0)
[PART1] 村上春樹『騎士団長殺し』:異世界からの帰還とその資格を得るための旅
長編としては前作『1Q84』から7年ほどのインターバルを挟み、2017年2月に村上春樹の小説『騎士団長殺し』が刊行されました。前後編に分かれており、それぞれ「第1部 顕れるイデア編」、「第2部 遷ろうメタファー編」と題し、彼にしては珍しい要素も含みつつ、体幹のしっかりした筆致で新たな物語を描きます。

新たな小説を読んで新たな世界に飛び込むことができるのは、新たなアルバムを聴くときと同じくらい素晴らしい体験です。書店で実際に手に取ったときは、2冊併せて1000ページを超える紙の重みを感じながら、これからどのような世界に導かれるのか、期待に胸を膨らませました。ページを繰って物語に一度没入すれば、ワンダーランドに紛れ込んだアリスのように、ユニークなその世界を旅します。

ファースト・リーディングは、まるで真っ白なキャンバスに輪郭を描くようです。読み終えると心地好い読後感が残りました。そして再び冒頭に戻り、ページを繰ります。再読では物語の中を捉え、線を確かなものにして、色を乗せてしっかりと描きます。二回読んで感じたことをいくつか書き残しておきます。物語の世界は読者の数だけ存在しますが、僕にとっての『騎士団長殺し』もまた独自の存在として眼前に広がっています。物語を自分の中に取り込み、自分というフィルターを通してテーマをあぶり出してみたい。
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余韻に浸りながらぼんやりと考えを巡らせていて、頭に浮かんだのは「異世界からの帰還」という言葉です。最初に第1部を読み終えたとき、ふと「主人公は異世界の住人なのではないか」と思いました。その考えが頭の片隅に残っており、第2部を読む間に「帰還」という言葉と結びつきました。換言すれば「主人公が抱えていた闇を、いくつかの体験を通して浄化する物語」というところでしょうか。

僕の意識に強く印象付けられたのが「移動」という要素です。物語の序盤から中盤にかけて北国への旅が語られ、そして終盤では「穴から穴への旅」が繰り広げられます。現実と非現実の違いはあれど、どちらも移動であり、一対の行為なのではと思えます。そしてそれらは異世界から帰還する資格を得るためのプロセスなのではないか、と。現実の旅と非現実の旅を通過儀礼的に行ない、向こう側の世界から、こちら側の世界に戻ってくる。

これまでの作品に見られた「現実世界から非現実世界に向かい、何かを討ち果たして戻る」展開とは異なり、「成長」でもなければ「勝利」でもない。教えられるものでも勝ち取るものでもない。旅をすることで浄化し、レールのポイントを切り換えて、新たなルートに沿ってその世界から帰ってくる。そして帰還を果たした先には、これまた意外な結末が待っています。【PART2: 重なる三角形と最後に受け取った存在

2017.03.20
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by mura-bito | 2017-03-20 15:07 | Book | Comments(0)
村上春樹 - 色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年
色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年

色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年

村上春樹


予想に違わず祭りと化しましたね、村上春樹の新作発表。3週間ほど過ぎてみれば、凪もいいところですが、喧騒も収まったところでゆっくり物語に向き合うのはいいことです。さて、タイトルは『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』という、謎めいたキーワードをつなぎ合わせたもの。いろんな人がいろんなことを言っていますが、もちろん僕もそのひとりとして、感じたことを言葉にしてみます。物語に飛び込む。

主人公の「多崎つくる」がいろいろな光景を目にし、音や話を聴き、夢の中に迷い込み、夢から吐き出される。僕らはつくるくんの目や耳や夢を通した世界をそのまま受け止めます。それは、たとえるならば「世界の車窓から」みたいなものかもしれません。流れる景色や聞こえてくる音にはっとして、けれどもそれらはすぐに窓から見えなくなる。

物語を構成する重要なファクターとして、「駅」が出てきます。舞台装置であり、小道具でもあります。これまでの作品との結びつきをこじつけるなら、それは配電盤でしょうか。いろいろなものが、人が、思いが交わっては通り過ぎていく。もちろん、過去の作品と結びつけたところでただのお遊びですし、何よりもそれは評論家が言っているに過ぎない。それでもなお、駅が持つメタファーはとてもおもしろいですね。

新宿駅の中央本線ホームで、特急(それは「あずさ」か「かいじ」か「スーパーあずさ」か)を見送るつくるくんの姿に何を感じるでしょうか。いくつかの場所を通り過ぎてきたつくるくんが、物語の最後の方で立ち寄ったのがこのホームです。そして最終のあずさを見送るのですが、そのときの光景が物語の最後になってわずかに登場します。目的地に向かって走り去る特急電車。それを見送るつくるくん。おそらくそれはもはや届かない何かをあきらめる人間の姿ではなく、今までだったら手を戻してしまったその先に手を伸ばそうとする人間の姿です。

以前、『考える人』という雑誌のインタビューで、彼は、会話で大事なのは言い残すことだと語りました。一番大事なことは、言葉にしてはいけない、と。そしてそれをたとえた言葉が「優れたパーカッショニストはいちばん大事な音を叩かない」です。いちばん大事な音。

この作品においても、いろいろな音が鳴っています。時として華やかに、時として緩やかに、静かに、ひそやかに。けれども、交錯する音をかきわけていくと、その先にはぽっかりと空洞があるのではないでしょうか。そこに収まるべき音がない。けれどもそれこそが大事なことかもしれません。その音を、自らのイメージで鳴らすものだと僕は思います。自分にとって最も大事と思う音を鳴らせばいい。それで物語が完成するわけではないけれど、物語が自分の中に潜り込んでくるのではないか。自分の音を鳴らすこと、それが印象的な物語に対する僕自身の姿勢です。

2013.05.01
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by mura-bito | 2013-05-01 21:41 | Book | Comments(0)
10年後の再読、ノルウェイの森
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個人的なベストオブハルキを挙げろと言われたら、迷わず『ノルウェイの森』を選びます。初めて読んだのは高校生の時分ですが、そのときは文庫本を飽きることなく読み返していました。それこそこの物語の中で『グレート・ギャツビー』が何度も読み返されているように、僕も『ノルウェイの森』を数え切れないくらい開き、ページを繰りました。大学で心理学をやろうと思ったのも、ここに起因するのかもしれません。結果的に僕には井戸を掘り続ける勇気はなかったのですが。

『1Q84』は1984年が舞台になっていますが、『ノルウェイの森』は1969~1970年を中心に描かれています。最近また読み返してみて、想像もつかない時代のことを書いているんだなと改めて思いました。1984年すらわけがわからないのに、1969年なんてもはや歴史の教科書ですよ? 40年前。そこに漂っていた空気を知らない僕が読むと、その時代を生きた人とは違ったものをイメージしているはずです。僕のイメージには牧歌的な雰囲気すら漂っています。なんだか、ものすごいねじれを感じます。これを読んでいたころ(10年前)の新宿すら知らなかった高校生が、1969年の新宿なんてイメージできるはずがありません。僕の頭の中で出来上がっていた『ノルウェイの森』は、その後の時分の行動規範を形成するくらい大きな影響を及ぼしました。映画を観てもそれが崩れることはないと思いますが、いろいろ幻滅するのが怖い。目に見えないからこそ価値があるものがたくさん散りばめられている気がしていて、それを白日の下に晒してよいものだろうか?

手を伸ばしても、伸ばしても、ほんの少し先にあるのに、やはり届かない。そのもどかしさと悲しさ、そしてそれらを与える残酷さが、とても印象的です(蛍とか、窓越しの小さな光とか)。最後は電話ボックスで名前を呼び続ける。あれもこれも失われて離れて遠ざかる結末は、それでも美しいと思いました。好きも嫌いもなく、なるべく公正に眺めてみたとしても、やはり美しいという言葉しかないんだろうなと思います。

2009.06.24
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by mura-bito | 2009-06-24 22:15 | Book | Comments(0)

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