
南青山にある根津美術館で「百椿図 椿をめぐる文雅の世界」という展示を観てきました。英語での表記は "One Hundred Camellias: Blossoms Heralded in Literature" です。主題となっている「百椿図」は大きな絵画かと思いきや、さまざまな椿が描かれ、それぞれに和歌、俳句、漢詩が添えられた巻物でした。よく見ると、本、鼓、扇子、筆立て、水差し、団扇、紙などを花器に見立てて椿が生けられており、言うならば、巻物に延々と描かれたシュールなインスタレーション。この時代にこんな感性があったのかと驚きましたが、いやむしろそれが後世にまで残っていることの方が重要かもしれません。
昔の美術というと教科書に載っているようなものを想像していましたが、特に歌川国芳の作品を知ってから、近世日本の表現ってとてもユニークだし、市井から生まれる芸術のおもしろさを感じています。「百椿図」も江戸時代につくられたそうですが、その時代のアヴァンギャルドな精神の表れでしょうか。それとも自然に生み出された芸術表現なのでしょうか。いずれにしてもおもしろいですよね。現代アートのお株を奪うような型破り。あるいは太古の昔から繰り返されてきたリバイバルの一部なのか。いつの時代にも保守本流があって、そこからドロップアウトした支流が独自の流れをつくっていくんですね。
日本に蓄積されたさまざまな遺産に触れるとき、僕はいつも原研哉さんの言葉を思い出します。
原さんは現代日本の進むべき道の原点を足利義政の時代に見出します。応仁の乱で焼けてそれまでの蓄積が失われた京都で静かに生まれた美意識こそが、経済的にも精神的にも頼るべきロールモデルを見出せない今の日本に必要である、と。著書である『白』や『日本のデザイン』の中で、茶室や「松林図」を引き合いにしながら、原さんは日本の美意識について言葉を丁寧に重ねます。10年20年よりも大きな単位で日本を振り返り、もちろんそこにただ戻るわけではなく、そのころのメンタリティから日本らしさを抽出し、現代の生活に馴染ませるようにアレンジしようということですね。
「松林図」を前に言葉を失って立ち尽くした体験は強烈でしたが、時代も作風も違えど、「百椿図」や国芳の武者画や美人画が琴線に触れるときの感覚もインパクトがありました。遠い過去につくられたものも、つい今しがた生まれたものも等しく新鮮に響きます。それに巡り合った瞬間こそが、現在進行形と言うべき状態ですよね。過去の時間と現在の時間がぎゅっと結びつき、自分の心を震わせる。おそらく美術品をコレクションすることはありませんが、どのようなかたちであっても、袖が擦り合うように巡り合えたら、きっとそれはすてきな体験なんじゃないかなぁと思うのです。
2012.01.27