inthecube
音楽と物語に関する文章を書いています。
ワイルドじゃなくてもいいからタフになりたい
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カテゴリ:Book( 104 )
[PART3] 村上春樹『騎士団長殺し』:秋川まりえの三角形と彼女が受け取ったもの
PART2: 重なる三角形と最後に受け取った存在】途中から登場して存在感を放つ「秋川まりえ」は、脇役のひとりとするにはあまりにも惜しい、とても重要な位置に立っています。フォーカスの対象を主人公から変え、彼女に当ててみると、角度が変わって対象物の印象が変わるように物語の表情が変わります。

前回と同様に点を結び、三角形を描いてみましょう。「免色渉」が主人公に語った「秋川まりえ、秋川まりえの母親、免色渉」というファクターは物語に根を張り、謎めいた三角形として息をし続けます。免色という謎のキャラクターを生々しく語る核であり、秋川まりえの存在の重要性を際立たせるスポットライトのようでもあります。

主人公、秋川まりえ、秋川笙子」から「秋川まりえ、秋川笙子、免色渉」へのシフトや、重要な絵を共有した「主人公、秋川まりえ、騎士団長殺し」も意味のある三角形です。そして、免色渉の家に忍び込んだ彼女はクローゼットに隠れ、張り詰めた緊張感の中で「秋川まりえ、サイズ5の花柄のワンピースの持ち主、免色渉(あるいは免色渉ではない何か)」という三角形が描かれます。特に免色の家で起こった出来事は、彼女を主役に据えた短篇小説のようであり、彼女の行動や思考が活き活きと描かれています。
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秋川まりえは「主人公がたどった道を別の角度から表現している」のでしょう。主人公が穴の中の世界を旅している間、彼女は免色渉の家に忍び込み、そして騎士団長に導かれて時を過ごします。同じタイミングでそれぞれにエキセントリックな体験を経て、それぞれのゲートをくぐって、誰も傷つけることなく帰還してくる。

では、帰還した先で彼女が受け取ったものとは何なのでしょうか。それは「彼女の肖像画の中に秘められていたもの」ではないかと僕は思います。彼女の母親から彼女に受け継がれたものなのか、彼女自身に与えられたものなのか、それは想像の余地が大きいところですが。主人公は肖像画を描くことで、言葉では語ることの難しいそれの存在に気付きます。そしてそれを表に出すべきではないと考え、肖像画の中に留めました。肖像画を未完成のまま彼女に進呈することで、それの存在を彼女自身に託します。

主人公が免色に彼女の肖像画を渡さなかったのは、それこそが彼の求めていたものだからかもしれません。だから主人公は解き放ちかけたそれを絵の中に戻し、彼女以外の人間が触れることのないよう手を尽くした。そして、肖像画を受け取った彼女は、いずれ、肖像画の中のそれと向き合う時が訪れるのかもしれません。『騎士団長殺し』に続編があるとすれば……秋川まりえがそれと対峙し、新たな謎に包まれる物語を読んでみたいと思います。【PART1: 異世界からの帰還とその資格を得るための旅

2017.03.22
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by mura-bito | 2017-03-22 21:20 | Book | Comments(0)
[PART2] 村上春樹『騎士団長殺し』:重なる三角形と最後に受け取った存在
PART1: 異世界からの帰還とその資格を得るための旅】『騎士団長殺し』の登場人物や重要な小道具を、場面ごとに点で結んでいくと、あちらこちらで三角形が浮かび上がります。それらは直接会話を交わすだけではなく、場にはいなくとも重要な存在として描かれる場合もあります。いくつもの三角形が浮かび上がり、重なり、離れながら物語は進みます。ひとつの方向に進んでいるかと思えば、別の三角形に焦点を当てると、別の道筋が見えてきます。三角形という見方をすることで、物語が立体的に、多面体として立ち上がってくるのです。

物語の主軸となり得る三角形は最も重要な三人を結んだ「主人公、免色渉、秋川まりえ」でしょうか。一番大きい三角形として、物語の輪郭を浮かび上がらせます。東北地方と北海道を回る旅で描かれた「主人公、女、白いスバル・フォレスターの男」は、その後も主人公の影のように付いて回ります。また、「主人公、雨田具彦、雨田政彦」の三角形からは、雨田家に降りかかった出来事を通して、歴史に刻まれた暗い暴力の存在が不気味に鎌首をもたげます。「秋川まりえ」のスケッチを描いた後には、彼女と妹の「小径」が結びついて「主人公、秋川まりえ、小径」が三角形を作り上げ、主人公と秋川まりえとの結びつきが強固なものとなります。

主人公は穴の中に身を投じ、非現実の世界を歩きます。穴を開けるための儀式として「主人公、雨田具彦、騎士団長」から「主人公、雨田具彦、顔なが」に至るプロセスも欠かせません。穴の中では、旅人と案内人という関係で「主人公、顔のない男、ドンナ・アンナ」が存在し、そこをくぐり抜けるときには「主人公、小径、ドンナ・アンナ」がキーとなります(その伏線として、風穴における「主人公、小径、叔父」があったのか)。そして、これらを経て帰還した先に、新たな三角形が生まれます。
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いくつもの三角形が織り成す物語は、ひとつの三角形に収斂していきます。そのプロセスを追っていると「受け取る」という行為が見えてきます。悪や巨大な存在から何かを勝ち取るのではなく、あとに残ったものを受け取る。失うこともなく、通り過ぎることもなく、かたちあるものが手のひらに残る。与えられた「ギフト」を受け取り、大事に守る。

最後に登場する三角形が「主人公、柚、室」です。これまでにも家族や家庭を描いた物語はありましたが、これほどまでに重みを感じている描写は初めてではないかと思います。例えば『国境の南、太陽の西』では捨ててもいいとさえ思われていた家族(妻と娘)という要素が、この物語ではむしろ守るべきものとして描かれています。その手をしっかりと握っていようと思える存在。

僕は「主人公は受け取ったギフトの重みをしっかり感じている」と思いますし、それは村上春樹らしくないとも思い、同時に興味深いとも思います。暗示的に匂わすものはなく、シンプルに、形、重み、そして温かみがあるものとして、その存在の尊さを感じている。物語の終わりとして明確に句点を付けた、そう思える結末です。【PART3: 秋川まりえの三角形と彼女が受け取ったもの

2017.03.21
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by mura-bito | 2017-03-21 21:35 | Book | Comments(0)
[PART1] 村上春樹『騎士団長殺し』:異世界からの帰還とその資格を得るための旅
長編としては前作『1Q84』から7年ほどのインターバルを挟み、2017年2月に村上春樹の小説『騎士団長殺し』が刊行されました。前後編に分かれており、それぞれ「第1部 顕れるイデア編」、「第2部 遷ろうメタファー編」と題し、彼にしては珍しい要素も含みつつ、体幹のしっかりした筆致で新たな物語を描きます。

新たな小説を読んで新たな世界に飛び込むことができるのは、新たなアルバムを聴くときと同じくらい素晴らしい体験です。書店で実際に手に取ったときは、2冊併せて1000ページを超える紙の重みを感じながら、これからどのような世界に導かれるのか、期待に胸を膨らませました。ページを繰って物語に一度没入すれば、ワンダーランドに紛れ込んだアリスのように、ユニークなその世界を旅します。

ファースト・リーディングは、まるで真っ白なキャンバスに輪郭を描くようです。読み終えると心地好い読後感が残りました。そして再び冒頭に戻り、ページを繰ります。再読では物語の中を捉え、線を確かなものにして、色を乗せてしっかりと描きます。二回読んで感じたことをいくつか書き残しておきます。物語の世界は読者の数だけ存在しますが、僕にとっての『騎士団長殺し』もまた独自の存在として眼前に広がっています。物語を自分の中に取り込み、自分というフィルターを通してテーマをあぶり出してみたい。
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余韻に浸りながらぼんやりと考えを巡らせていて、頭に浮かんだのは「異世界からの帰還」という言葉です。最初に第1部を読み終えたとき、ふと「主人公は異世界の住人なのではないか」と思いました。その考えが頭の片隅に残っており、第2部を読む間に「帰還」という言葉と結びつきました。換言すれば「主人公が抱えていた闇を、いくつかの体験を通して浄化する物語」というところでしょうか。

僕の意識に強く印象付けられたのが「移動」という要素です。物語の序盤から中盤にかけて北国への旅が語られ、そして終盤では「穴から穴への旅」が繰り広げられます。現実と非現実の違いはあれど、どちらも移動であり、一対の行為なのではと思えます。そしてそれらは異世界から帰還する資格を得るためのプロセスなのではないか、と。現実の旅と非現実の旅を通過儀礼的に行ない、向こう側の世界から、こちら側の世界に戻ってくる。

これまでの作品に見られた「現実世界から非現実世界に向かい、何かを討ち果たして戻る」展開とは異なり、「成長」でもなければ「勝利」でもない。教えられるものでも勝ち取るものでもない。旅をすることで浄化し、レールのポイントを切り換えて、新たなルートに沿ってその世界から帰ってくる。そして帰還を果たした先には、これまた意外な結末が待っています。【PART2: 重なる三角形と最後に受け取った存在

2017.03.20
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by mura-bito | 2017-03-20 15:07 | Book | Comments(0)
京極夏彦 – 書楼弔堂 破曉
書楼弔堂 破暁

書楼弔堂 破暁

京極夏彦


京極夏彦の『書楼弔堂 破曉』は、記録に残された歴史の一点から鮮やかに虚構の世界を立ち上げ、「本」という存在、その意味に向き合う物語です。歴史上の人物も登場し、その話し方や考え方は作者の筆によるものなのですが、政治や戦争といった観点で描く物語とは異なり、日常の言葉が飛び交う時間を切り取った描写が新鮮であり、ひと味違う時代小説として楽しむことができます。

舞台は明治維新後の日本です。文化も政治も、そして人々の営みも大きく変わったようで、江戸以前のものが強く残る時代。あるものは連続的に残り、あるものは非連続的に断絶しています。そうした中で、生き方に迷う人々が、引き寄せられるようにたどり着くのが一軒の書肆(いわゆる本屋)。書肆を訪れた客と主との会話、そして見届け人のような語り手の言葉で構成される物語です。次から次へと交わされる言葉に引き込まれ、圧倒的な量の本や暗がりでゆらゆらと揺れる灯りの中で自らもその会話に立ち会っているかのような気にすらなりました。会話の中で、幽かに立ち上がってくる変化を捉えます。

***

「破曉」とは「曉(アカツキ)を破る」、すなわち夜明けを迎えるということでしょうか。明治より前が「夜」というわけではないのでしょうが、「御一新」によって政治のシステムが変わり、次第に人々の生活も変化してくると、新旧の価値観に挟まれて揺らぐ人々も多かったのだろうと思います。この物語では、本との出会いこそが次の一歩を踏み出す契機となります。膨大な言葉の奔流とともに、「その人に読まれるべき本」の存在が、人々の背中を押す。

表紙を飾る月岡芳年の「幽霊之図うぶめ」は、霞んで今にも消え入りそうで、怖さよりも切ない気持ちが呼び起こされます(浮世絵 太田記念美術館で観たときも、その儚い雰囲気にしばし言葉を失いました)。そして、表紙だけでなく、目次や奥付に使われている明朝体が目を引きます。どこにでもあるようで、大きさや位置を徹底的に「設計(デザイン)」された明朝体の文字は、強烈な存在感を放ち、他の書体では出し得ない味わいを生みます。本というものが背負う意味の大きさが、この本に印刷された文字のすべてから感じられます。

2017.02.16
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by mura-bito | 2017-02-16 21:10 | Book | Comments(0)
カーソン・マッカラーズ – 結婚式のメンバー

結婚式のメンバー

カーソン・マッカラーズ


カーソン・マッカラーズの『結婚式のメンバー』は、「村上柴田翻訳堂」シリーズの第一弾として刊行された小説です。このシリーズでは、村上春樹と柴田元幸が中心となって、再び読まれるべき小説を選んで翻訳や再発を行ないます。本書は村上春樹が新たに翻訳したものです。

主人公は、アメリカ南部に住むひとりの少女。彼女が繰り広げる会話や行動のあちこちに、「狂気」と呼べる思考が見え隠れします。物語が進むにつれ、子供時代に特有の夢想として処理され、通過儀礼的に昇華していくのだろうと思いながら、ページを繰りました。しかし、むしろ狂気は培養されて、彼女がそれにどんどん呑み込まれていく様子が描かれています。

本書で描かれた狂気は、あり得るか否か。本書は、リアリティを感じる描写こそが大事だと力説する読者、小説はとことんフィクショナルであるべきと主張する読者、どちらにとっても受容され得るのではないかと思います。この混沌こそリアリティと評することもできるし、ぶっとんだ内容がいかにもフィクションらしいと判断するすることもできる。個人的には、どちらとも断言しがたい、言わば「境界線を漂う」物語だと感じています。

ひとりの少女のナチュラルな姿を、真正面から捉え、物語に刻み付ける。カーソンが綴る文章は、何かに取り憑かれたように筆を動かす画家を思わせます。しかもそれは凪のように見える静かな言葉の中に住み着いています。章が移るごとに変化する「名前」は、主人公の成長を暗示するように見えて、実はずっと変わることなく主人公を支配する狂気の「影」を意味するのかもしれません。

2016.10.06
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by mura-bito | 2016-10-06 21:56 | Book | Comments(0)
京極夏彦『絡新婦の理』:緻密に張り巡らされた言葉が生み出す映像美
絡新婦の理

絡新婦の理

京極夏彦


僕が京極夏彦の『絡新婦の理(じょろうぐものことわり)』を読んだのは十年ほど前のことです。一年間で『姑獲鳥の夏』から始まる一連の物語のほとんどを、友人から借りて読みました。むさぼるように、憑かれたように、ただひたすら頁を繰っていたことを思い出します。

それから十年ほどが経ち、読み直してみようと思ったのはこの『絡新婦の理』だけですね。それほどまでに強く印象付けられた作品だったと言えます。初めて読んだときに書き残した文章 [*1] を読むと、少し不思議な感覚にとらわれていたようです。当時の印象をなぞりつつ、改めて物語を追います。現代ではないが、歴史に埋もれた時代でもない、僕らにとっては曖昧な存在である終戦後の日本で、美しく歪んだ物語が言葉を紡ぎます。

「言葉の映像美」とは語義矛盾なのかもしれませんが、そう言いたい。言葉が描く映像、そしてその美しいこと。開幕と終幕で同じ場面を描くことそのものは、必ずしも独創的だとは言い切れません。けれども、そうと分かっていても、これらの場面を言葉の羅列から想像すると、どこまでも美しくて、その美しさに惚れ惚れします。そしてそれこそが、この物語に、そして蜘蛛の糸に絡め取られていることを意味するのでしょう。吸い寄せられるように、ここに戻ってきたのは、ずっと蜘蛛の糸に縛られていたからなのかもしれません。

[*1] inthecube: 板の上の脚本家、それを眺める観客

2016.07.07
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by mura-bito | 2016-07-07 21:56 | Book | Comments(0)
[PART2] 木村俊介 – 善き書店員
善き書店員

善き書店員

木村俊介


[PART1] 木村俊介 – 善き書店員

『善き書店員』を読んだのは随分前のことです。思いつくままに感想を書き留めて、ひとつにまとめることはせずにいました。そんなときに、2016年4月から始まったドラマ『重版出来!』を観ました。生瀬勝久が演じる営業部長が、覇気のない部下に向かって静かに、けれども力強く言います。自分たちが売っているのは物だが、届けているのは書店員、人だ、と。確かに人だよね、と首肯しました。その瞬間、『漫画編集者』* という本とともに本書を思い出しました。

改めて『善き書店員』のページを繰ります。書店に勤める人々の言葉に触れ、その行間にある思いを想像してみると、それぞれのでこぼこした話の中に、その人の日常が垣間見えます。本と読者をつなぐインターフェースとして過ごす日々。書店とはただの本を並べる場所ではなく、そこには人がいて、喜怒哀楽や深い思慮があるわけですね。本書に登場する人々が発した思いは、それぞれのフィルターを通して、独自の言葉として紙に印刷されます。

***

広島の書店に勤める藤森真琴さんが「本そのものが好きだから本屋にくるという人は、多数派ではないだろう」と語る場面があります。当たり前のように思えますが、言われなければ気づかないことです。書店を訪れる人が揃いも揃って本の虫ならば、Amazonも電子書籍も必要性を失って、そもそも存在すらしていませんよね。本屋は本を買うためのチャンネルのひとつなのですから。また、「自分が好きで『いいな』と思っているだけではない、人に仕事で『本っていいですよ』と伝えられるに足る意味を、どこかで切実に探しています」とも語ります。情報にアクセスできるチャンネルが増え、激しい移り変わりもある中、本でなくてはならない理由が必要になっている。

『善き書店員』では、藤森さんに限らず、それぞれが書店について改めて考え、言葉にしています。それらは新聞記者や評論家のような第三者による分析ではなく、書店員から吐露された言葉であり、書店の本棚から染み出して書店員を媒介して姿を見せたようにも思えます。本書で僕らが目の当たりにするのは、「書店の意味を捉えなおすプロセス」なのだろうと思います。書店の意味は変わりつつある、あるいはすでに変わっているのかもしれません。本書を読む前と後では、書店に足を踏み入れるときの感覚が少し変わるかもな…なんてことを思いました。

* 『漫画編集者』については、noteに「『漫画編集者』:5人の漫画編集者にフォーカスした、それぞれの肉声を伝えるインタビュー集」という文章を書きました。『重版出来!』の編集を務める山内菜緒子さんをはじめとして、漫画編集者たちの言葉が記された著作です。

2016.04.27
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by mura-bito | 2016-04-27 18:29 | Book | Comments(0)
[PART1] 木村俊介 – 善き書店員
善き書店員

善き書店員

木村俊介


「趣味は何?」という質問に対して、昔から「音楽と読書」と答えていました。それほど多読ではなく、時として乱読に溺れたい時期が来るものの、気に入った本を読みたいときに読むことが多い。その本はどこで買うかと問われれば、書店で買うと答えます。なぜなら、特定の作家の新刊を買うという目的を果たすためです。時にはTwitterのタイムラインで見かけた本を探しに行ったり、何も決めずに本棚の前に立って物色したりします。

頻繁に足を運ぶのは丸善や有隣堂のような大型書店です。選書や内装で勝負する小さな本屋も興味はあるのですが、僕にとって決定的に欠けているものがあります。本棚の迷宮を歩き回って、あの圧倒的な量の本の中から求める本を抜き取る、そういうことができるかどうか。それが楽しいというよりは、習慣化しているだけのことで、大抵の場合は書店を出る頃に疲労でぐったりしているのですが。それにしても、本棚から受ける圧迫感は独特ですよね。

***

ということもあり、書店というのは「本がたくさん置かれていて、買う場所」と認識してきました。特別な思い入れがある場所というよりは、特定の機能を持った場所であり、それ以上のものではなかった。その程度の認識でいたのですが、視点を変えてみると、それまで見えなかったものが目に飛び込んできます。書店とは本が売り買いされる場所に留まらず、そこで考えて動く人がいる、ユニークな、生きた場所だと気づきます。そのきっかけを与えてくれたのが、2013年に刊行された木村俊介さんの『善き書店員』という本です。

『善き書店員』は6人の書店員にフォーカスしたインタビュー集です。本書に登場する方々は、それぞれに異なる環境で異なる考えを持って、本と人に接しています。大型書店に勤めている方もいれば、街角の本屋を切り盛りする方もいるし、あるいはインディペンデントな書店の経営者も含まれています。ここで語られるのは「各人が書店員として何を考えて生きているのか」というシンプルなことです。それぞれの言葉は、それぞれの思いを乗せて、一冊の本に刻み込まれています。それらが語るものは何か。ページをめくり、ひとつひとつの言葉を追いましょう。

[PART2] 木村俊介 – 善き書店員

2016.04.26
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by mura-bito | 2016-04-26 21:52 | Book | Comments(0)
宮下奈都 – 羊と鋼の森
羊と鋼の森

羊と鋼の森

宮下奈都


ジャズ・ピアニストの上原ひろみは、日本でコンサートを開催するときは必ず小沼則仁という調律師に調律を依頼するそうです。あるとき、コンサートのMCでベーシストやドラマーの紹介に加え、小沼さんの名前を挙げて感謝の言葉を重ねました。

宮下奈都の『羊と鋼の森』という小説は、調律を物語の軸にしています。僕は上原ひろみの演奏を思い出しながらページを繰りました。上原ひろみの演奏は、もちろん彼女自身の技術や情熱によって成り立っていますが、こうして調律を意識すると、小沼さんの調律、そして小沼さんへの信頼があってこその演奏なのではないかと思えてきます。ピアニストの向こう側には調律師がおり、ピアノの中には調律の存在があります。

***

主人公は、高校生のときに学校のピアノを調律しに来た調律師と出会います。その調律を目の当たりにすることで、彼の人生は大きく変わります。調律師になることを志し、やがてその調律師と同じ職場で働くようになります。特別な才能を持っているわけではない彼が、ピアノと向き合うことで、さまざまな人と向き合うことで、調律とは何か、調律師とは何かに気づいていきます。

『羊と鋼の森』はひとりの調律師の成長物語であり、それと同時にひとつの長大な曲であると言えます。

音符が五線譜で舞うように、言葉が心地好く流れていきます。文字を読んでいるのか音を聴いているのか分からなくなり、感覚は交錯して溶け合います。文字を聴き、音を読む。音楽的な言葉だけでなく、物事を描写した言葉すらも音楽的に奏でられます。淡々と綴られる言葉の群れは、音を空間に馴染ませる調律そのものではないかと思います。

2016.01.21
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by mura-bito | 2016-01-21 18:31 | Book | Comments(0)
[PART2] 木村俊介 – 物語論
物語論

物語論

木村俊介


[PART1] 木村俊介 – 物語論

木村俊介さんは『物語論』で、伊坂幸太郎さんの作品について「登場人物たちの心については、いつもきれいに話を閉じている」と述べています。これまでに読んだ伊坂作品を思い返しながら、この点を考えてみましょう。真っ先に浮かんだのが『重力ピエロ』です。僕はこの小説を文庫本で2007年に読みました。

***

『重力ピエロ』で最も好きなのは、語り手の弟である「春」が小屋の上から跳躍して、「春が二階から落ちてきた」と綴られる最後の場面です。この場面は、「春が二階から落ちてきた」という一文から始まる物語の冒頭と呼応しています。この作品を初めて読んだとき、僕は「最初のシーンで、これは読むべき物語だ、と確信し、最後のシーンで、読んで良かった、と確認する」* と書きました。無邪気な感想だと思わざるを得ませんが、心に浮かんだものをストレートに記していることは間違いない。

「春」を含めた家族のみんなが抱えてきたものは決して軽いものではありません。それらを「家族愛」という言葉で乱暴にコーティングしてしまうには、事態はあまりにも複雑です。謎解きに関する軸、家族に関する軸が、それこそ二重螺旋のような関係にある物語です。人によっては目を背けたいものをテーマにしていますし、謎解きや小説の構造を楽しむのは無邪気に過ぎたのかもしれません。もちろん不謹慎だからとか、嫌がる人がいるからとか、そんな無責任な理由で過去の自分を否定したいわけではない。

***

『物語論』を読んだことで『重力ピエロ』を再読する機会を得ました。今の感性で読んで思ったのは、冒頭の「春が二階から落ちてきた」と最後の「春が二階から落ちてきた」は素晴らしい文である、ということです。言葉にすると8年前と同じですが、当時とは異なる感性で、しかも多少は積み上がった経験をふまえても、やはり素晴らしいものは素晴らしい。一度心を震わせた物語は、そう簡単に格下げされることはありませんね。登場人物たちの話が閉じていると思えるから、読み終わってすぐに素直に「いい小説だった」と思えるのでしょう。それは「登場人物たちの気持ちが解放された」ということを意味するのではないでしょうか。

謎解きが終わると、物語は長めのエピローグに入ります。場所を変え、話題を変え、そのたびに言葉を積み重ねてエピローグは進みます。気持ちは少しずつ解き放たれていく。最初から散りばめられていたエピソードのいくつかはエピローグにも登場しつつ、伏線と呼べるものではなく、多くは読者の記憶で鳴り続けるものです。どのエピソードを思い出して目の前の文章につなげるかは、読者が決めます。読者によっては、ただの退屈な後日談かもしれません。けれども、物語のあちこちに転がったものを拾い集めていれば、きっと、最後の場面に向かって登場人物たちの気持ちが徐々に解放されていくのを感じることができる。その解放は「春が二階から落ちてきた」で結実します。

***

登場人物の話が閉じているか、という観点で他の伊坂作品を再読するのも楽しそうです。『砂漠』や『ゴールデンスランバー』の読後感は爽やかだった記憶がありますが、改めて読むと、どれくらい深みを感じられるのでしょうか。作家が物語を生み出すプロセス、その一端を教えてもらうことで、一度読んだ作品も異なる角度から光を当てることができます。そうして物語は陰影を持ち、立体的になるのだろうと思います。

* inthecube: 僕は二階から落ちてはきませんが

2015.05.29
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by mura-bito | 2015-05-29 21:33 | Book | Comments(0)

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